世界大戦争という映画

 先日、つたやから借りてみた映画「世界大戦争」(1961年)。日本人は今これ見たほうがいいかもしれない。酔って書いてて長くなったけど、まあいいでしょ。

 映画が始まる前から異様。東宝マークが出る前の数分は画面真っ黒で、団伊久磨作の暗鬱なシンフォニーが数分。いわゆる米ソ冷戦下の当時、翌年はキューバ危機が起こる。この作品は第三次世界大戦を描いた映画であり、異様なオープニングの意味はいうまでもありません。

 僕が見てほしいというのは、この映画がICBが東京に飛んでくる様子を、円谷英二式のアナログ特撮で描いてるから。夜の国会議事堂の背後の天空に光の点が音もなくすーーっと上がり、放物線を描いて落ちてくる。弾道のカーブ、当時大陸間弾道弾という言葉は普通に通じてたと思う。日本人って本当に物忘れがよい。

 ICBの図解なんて僕は少年マガジンのグラビアで学んだんだから。監督の松林宗敬は現役の僧侶で、第二次大戦、原爆を経験した日本人の信念が伝わる。水爆の光点が落ちてくる下には普通の庶民が生きている。そういうことです。

 主役のフランキー堺は株好きなタクシーの運ちゃん。「(家族やみんなが)蒸発なんかしてたまるかい」なんてセリフがあったと思う。超高熱の太陽が降ってくる水爆の威力を、円谷監督はなんと、溶鉱炉と同じ釜を撮影所に持ってきて実際にドロドロに溶けた鉄を流し、撮影してる。いったいどんな苦しい死に方だろ。

 こんな悲惨な映画を作っても売れない、映画の企画会議でそういう意見があったらしいが、それでも作られたと聞く。今の日本人のために、作ってくれたことに感謝したいくらい。

 特撮シーン以外は、ホームドラマです。宝田昭の恋愛とか。キリがないので一つ書くと、中北千枝子(名優 ニッセイの自転車おばさん 知ってる人いないかな)と私生児らしき娘の下り。

 「今度の休みは遊びに行こうね。クリームパンを買ってゆで卵もたくさんもって」。引用は不正確ですが、昭和30年生まれの僕はこんなセリフに弱い。電話の向こうで「うん」とうなずく娘の子役は、ウルトラQの悪魔っこ、だね。

 「人間とはいいものだったんですがねー」という白衣の笠智衆。成瀬三樹夫か小津作品の柳智衆のセリフそのまま。「東京に帰ろう」とあえて東京に舵を切りなおす貨物船のコックさんなのです。「人間はいいものだったんだがなー。それが人間の生きる権利でした。人間が生きるため戦争はいけないとみんなが声をださなければいけなかった」ともいいます。ああ、耳が痛い。

 もちろん、たった一発のミサイルで東京は溶鉱炉の中で恋人も母娘も蒸発してしまってます。映画は、始まる前の真っ黒な画面に戻るという趣向です。

 北朝鮮が作ったという水爆実験の威力は70キロトン(TNT火薬=ダイナマイトの原料、換算の爆発力)と報道され広島潟原爆の十倍くらいなんてのんきな報道ですが、完成するとそんなものじゃない。原爆と水爆じゃ桁違いどころじゃなくエライ違いで、メガトンクラスは簡単でしょう。一発で東京の一つや二つ蒸発しちゃいます。それがマッハ20で落ちてきます。

 アベちゃんは、相手が打つ前に打てばよい、てな考えなのかな。

 われらがアベちゃん以外の彼以上にひどそうなトランプを含めたこっち側のえらいさんは話し合いしかないといってるのが普通なのです。僕だって知ってるよ。アベちゃんって「北に異次元の制裁を」って言ってるんですよねー。こういう人増えてるよねー。オソロシ。